陸上競技に縁もゆかりもなかった私のライフスタイルにランニングが入ってきたのは5年前。知り合いの先生が「ウルトラマラソンに出てみない?」と誘ってくれたのが切っ掛けだった。
それから1年後、「第11回宮古島100kmウルトラ遠足」に出場した。初ウルトラは11時間32分で完走。初めてにしては好成績だった。しかし、無理をしたのは言うまでもなく、身体はボロボロ。それから動けない日々が続いた。
好成績で走れた満足感と身体の故障からモチベーションは下がってしまった。その結果、翌年の第12回大会は完走できたけど、14時間19分というボロボロな成績だった。海宝ロードレース主催の大会は制限時間16時間。しかし、一般的な14時間制限なら途中リタイヤになっていただろう。
このままじゃ駄目だと思い立ったのが昨年の10月。ダラダラと走っていてもいんだけど、メリハリのある生活にするため、「40歳からのアスリート」というテーマを自ら掲げた。そしてランニングに取り組む姿勢に変化を加えた。
それまでは100kmも走らない月もあったけど、10月から月300kmから400kmの距離を維持した。そして、三度目のウルトラ挑戦。今年の1月に開催された「第13回宮古島100kmウルトラ遠足」では、自己ベスト11時間24分で走れた。
これまでは大会が終わったら走らなくなっていたけど、今年はランニングを続けている。大会参加が目的じゃなくなったからだ。走り続ける人生、生涯アスリートしてどこまで走れるか考えるようになったからだろう。
モチベーションをキープするためにフルマラソンの大会にも積極的に出場した。海部川風流マラソン、四万十川桜マラソン、そして徳島マラソンにも出場。出る度に自己ベストも更新できた。
しかし、春先のランニングシーズンが終わって、夏場になると悪い癖が出てきた。雨が多いという理由から走らない日が増え、モチベーションもかなり下がった。それでも、なんとか通勤ランを続ける日々。しかし、9月にはとうとう月間走行距離が200kmに届かなかった。
嫌な状態で秋のランニングシーズンが到来した。
不安いっぱいで四万十川ウルトラマラソンのスタートラインに立っていた。
大会は10月18日の日曜日だったので、前日の土曜日にUMMLの白石先生の車で四万十入りして前夜祭(写真は前夜祭の集合写真です。右端でガッツポーズをしているのが屋台ブルー)に参加した。赤鉄橋下でキャンプをする白石先生と別れ、UMMLのすずやんが民宿月白に連れて行ってくれた。作家の家田荘子さんも度々訪れる月白は、お遍路さんの好んで泊まる民宿なんで、ウルトラの大会と無関係で、朝早い我々に朝食の用意は無い。それでも、大相撲ファンの女将さんは、大相撲勝栗くんとジュースのセットを持たせてくれた。女将さん、ありがとうございました。
午前3時に起床して、前日コンビニで買っておいたおにぎりやパンを食べる。ウエアを着込んでトイレに行くけど、出ない... 朝早いスタートの大会ではいつも困る。頑張っても仕方ないから3時半に宿を立つ。ゴール会場の中村高校横にある駐車場に車を駐め、スタート会場行きの巡回バス乗り場に向かう。午前4時過ぎに巡回バスに乗り込んでスタート会場になっている蕨岡中学校に午前5時頃到着、号砲まで30分しかない。
簡易トイレがずらーっと並んでいるけど、待っている人も長蛇の列。誰もが同じ状態なんですよ。我慢できない訳じゃないからトイレは諦める。
62km地点のエイド、カヌー館で受け取る荷物とゴール地点で受け取る荷物を受付に預けてから、スタートラインに移動する。
午前5時半にスタート。
薄暗い中、人混みをかき分けながら走り始める。最初の20kmは標高差600mの登りがあるから、できるだけキロ6分を切るペースで走りたい。しかし、1500人の集団の中で思うように前に進めない。1キロ毎に距離表示があるけど、最初の1キロ表示を通過する時、既に7分を回っていた。「さあ、挽回していかなければ」という気負いと、オーバーペースでは潰れてしまうという不安感を感じながら、足の感覚を確かめるように慎重に走る。
町から出て山へ入っていく。すずやんに後ろから声をかけられて抜き去られる。速すぎるという思いと、遅れたくない気持ちが足を速める。しかし、冷静になってペース落とす。微妙な心境の揺れからペースも定まらない。遅れたくない気持ちが強いから、2.5km毎にある給水所に立ち止まらない。
徐々に上りの高配がはっきりしてくる。ペースを落とさないように気をつける。走り出してしばらくすると、トイレに行きたくなった。エイド後に設置してある簡易トイレを確認するけど、いつも誰かが入っている。何度もパスしながら走り続けていると、トイレを我慢できず茂みに消えていくランナーが気になっていく。
とうとう我慢できなくなって、コーナーの陰に隠れる茂みに入って用足しをしてしまった。コースに戻ると、ずすやんが前を走っていた。彼がトイレに寄っていた時に抜いていたが、自分が用足しをしている間に再び抜き返されていたようだ。
20kmのラップタイムは1時間59分。なんとか2時間を切ることができた。次の40kmまでは下りが続く、自ずとペースは上がる。途中のライダーハウスで用を足してから身体が軽くなり、快調に走ることができた。1時間49分のラップタイムで40km地点をパスする。約10分の貯金ができていた。この貯金をどこまで維持できるのか考えていると、隣を走っていたランナーが話しかけてきた。フルマラソンを3時間7分で走る彼はウルトラ初挑戦だそうだ。サブ10狙いというけど、サブ10狙いだったらもう少し先を走っていないとね。
フルマラソンの距離42.195kmでちょうど4時間というタイムだった。さあ、ここからどんな走りができるかだ。
前を走っていたすずやんがペースを落としていた。まだまだこれからだよと声をかけて彼を抜き去った。その後、キロ6分をキープして走ろうとするけど、自分のペースも少しずつ落ちてくる。60kmまでのラップタイムは2時間3分。
ここで力尽きてしまった。62kmのカヌー館にたどり着いたときは、貯金が5分になっていた。荷物を受け取っておにぎりを頬張りナッツを食べる。少し腰を下ろして休むと時間はすぐに経つ。10分休んて5分の借金ができてしまった。既に足に疲労がたまっているからもうペースは上がらない。キロ7分をキープすることも難しくなってしまった。
ペースが極端に落ち込んだから途中の給水所やエイドに立ち止まれなくなった。後半は水ばかり飲んで直ぐ走るという繰り返しだ。80km地点までのラップタイムが2時間27分。うーん、10時間台もやばい。それでも最後の20kmは必死に走り、ゴールまでのラップタイムは2時間24分。ちょっと縮めることができて、最終的に10時間43分で走りきった。
ダメージは大きく、ゴールして座り込んだら動けなくなってしまった。立ち上がるとめまいと脱力感に襲われる。かなり無理をしていた。知り合いが持ってきてくれた四万十うどんを汁まですべて飲み干したら体調が戻った。間違いなく塩分不足になっていた。後半で水ばかり飲んでいたためだ。足がつっていてもおかしくなかっただろう。塩分をしっかり補給していたら後半のペースの落ち込みももう少し改善できたかもしれない。次のウルトラの課題としておこう。
サブ10を目指していながら10時間43分というと、不甲斐ない記録に思われるかもしれない。しかし、満足している。夏場の練習不足があったけど足は結構動いてくれたし、レース後に筋肉痛以外の故障は無いからだ。
サブ10はまだ先の目標にしようと思う。次のウルトラは来年の1月だけど、今度は10時間30分にする。記録は自ずと付いてくる。フルマラソンでサブ3もまだまだ先にしておこう。
無理せず怪我せず走り続けたい屋台ブルーでした。
クオーターマラソン12km 56分35秒
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